寺院マップ

 
寺院マップ
神光山 成願寺
〒470-3502
愛知県知多郡南知多町大字片名字稗田9
井際山 如意輪寺
〒470-3321
愛知県知多郡南知多町内海中之郷12
臨海山 慈光寺
〒470-3321
愛知県知多郡南知多町内海南側63
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寺院紹介

神光山 成願寺

准胝観音さまは、会う人を美妙清浄にする観音さまで、中国ではあらゆる仏の母といわれたようです

成願寺と弘法さま

弘法大師が弘仁五年(814年)わが知多半島へ上陸されたとき、この地片名に悪病が流行っていて、 当寺を訪れた大師さまは厄除けの修法をして

この門をよけて通れよ 神の風   とおりに姿の あらん限りは

との歌をよまれ、悪病除けをなさいました。 こうした弘法大師の霊跡に、別堂を建立して修業大師の像を祀り、時代が移り、元和元年(1615年)笑山禅師はこの霊跡の荒廃を惜しまれ、堂宇を再興開山して、曹洞宗に改宗されたのです。

准胝観音さまって?

ここ成願寺は准胝観音さまが祀られています。馬頭観音が多くの場合は男性で象徴されるのに対して、 この准胝観音さまはだいたい女性であらわされます。 准胝というのはサンスクリット語の音をそのまま写した名称で"妙"とか"清浄"とかいう意味です。

つまり、会う人の心を美妙清浄にする観音さまということでしょう。中国では七億仏の母、 すなわちあらゆる仏の母といわれてきたようです。日本では一つのお顔に八つの手のものと一面・十八本の手の二種類があり、 本当にやさしいふっくらとしたお顔をなさっています。

観音さまのおすがた

さて、観音さまは私たちが会いたいと思えば、すぐ会えるように、 さまざまな形をして私たちとともにいらっしゃるのですが観音さまの前に佇む人々は、 それぞれいろんな事情を持っているわけですから、その事情を知り尽くして対話するには、 観音さまはコンピューターのようにならなければならないわけで、 千手千眼観音(手と眼が千ある)像などにその無数の救いが象徴されているのです。

 

※ 町指定文化財になりました、円空仏があり、善女竜王像と呼ばれ、昔雨乞いに用いられたようです. ( 写真 ) 以前は、一般公開してましたが、現在では、予約有料拝観になっています。

 

詳しくは、成願寺ホームページにてご覧下さい。

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井際山 如意輪寺

内海の繁栄を見守り、永々と歩み続けて来た如意輪寺は、 内海川のほとりで今も時代を見つめています

如意輪寺の由来

如意輪寺の縁起は古く、奈良時代に僧行基が行脚のとき、この地にとどまり、建立した管福寺の子院として、創建されたのです。

 しかし南北朝の頃、観福寺も次第に衰退の一途をたどり始め、それにともない子院の多くも荒廃したのですが、 元亀三年(1572)高僧梅山和尚により中興になったのです。

 

役行者が祀られていることから、古くはこの地方は熊野修験者が多く住み、 山岳信仰も盛んだったことを物語るものでしょう。

円空作「薬師如来像」

また、如意輪寺には、高さ63、8㎝の円空作、薬師如来立像があります。 旧暦の十月八日から十二日の間だけご開帳される秘仏でしたが、今では、拝観奉納料 500 円で、いつでもお参りできるようになりました。

前述の成願寺には、円空作善女龍王像(昔は、竜神観音像と言われた)、慈光寺には、円空作弁財天とが三十三観音霊場内三ヶ寺にあります。

なぜこの知多半島に円空が逗留して仏像を作成したのか、まだ明らかではありません。 とはいえ旅に生きた円空が、この知多半島に来たとしてもおかしいことではありません。

海運で栄えた「内海」

知多四国巡り四十六番の札所であるこの如意輪寺は、文政七年(1824)、 亮山阿闍利と同志が知多四国めぐり(新四国)を開いた翌年、文政八年(1825)、八十八ヶ所霊場の本部が置かれています。

本部がおかれたこと一つとっても、この内海の地が、千石船をはじめとする海運でいかに栄えていたかを知ることができます。

そして、その中心が、内海川の流域です。今は静かな街並みを残し、落ち着いたたたずまいを見せています。 内海川の流れは絶えずして、移り変わるは人の世の常。

円空作薬師如来の写真や住職手づくりのリボン腕輪など

住職手づくりのリボン腕輪や円空作薬師如来の写真は、こちらへ。

    井際山 如意輪寺 について     

    新設 如意輪寺 ホームページ     

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臨海山 慈光寺

馬頭観音は頭上に馬の頭を持ち、観音さまの中でただ一つ、 恐ろしい忿怒の形相をされています

慈光寺の歴史

天文八年(1539)恵空上人により開創され、十四世安空義静上人により中興されました。 本堂に合祀される秘仏、大日如来像は十二年に一度開帳されています。

あごなし地蔵さま

江戸時代の地元の豪商、内田佐七が隠岐島から分身を請うたものといい、あごなおし地蔵とも呼ばれて、 歯痛止めの霊験が今も多く語り伝わっています。

馬頭観音さま

この南知多三十三観音霊場中、馬頭観音さまが祭祀されているのは、ここ慈光寺ただ一寺です。 この馬頭観音さまが頭上に馬の頭を頂いて、お不動さまのようなおそろしい忿怒の形相をされています。なぜでしょうか?

優しい顔ばかりではだめだから、たまには怖い顔でゴツンと・・・などというばかりではありません。 「怒り」がどんなに悲しい、うつろなものであるかを見せてくださるのです。 馬頭観音さまは、馬や牛たちの安全を守ったり、交通安全をお願いしました。

今はドライバーの安全を見守る大切な観音さまです。ラッシュでいらいらしている時、 この観音さまを思い浮かべて「南無観世音菩薩」と唱えれば、心も静まり、道を譲る気持ちになり、 交通事故をまぬがれることでしょう。

なお、慈光寺には天保七年作、地獄絵図が十四幅と本四国巡拝初願者、衛門三郎ゆかりの杖杉弘法大師が奉安されています。 また、円空作、「弁財天」が安置されています。お像は十センチ余りですが円空独特の味わいがあります。

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